赤穂義士を偲ぶ討入射会@上野五條天神社

12月14日は忠臣蔵で名高い「赤穂義士の討入」の日です。これにちなんで毎年12月14日、上野・五條天神社では、義士を偲ぶ「討入射会」が執り行われています。

 

射候は一手坐射1回。的中の際には太鼓が「ドンッ」と打ち鳴らされ、奉射の後は玉串奉納。神職が見守る独特な雰囲気のなか、厳かに討入射会が進行します。今年の12月14日は平日でありましたが、各地から集まった大勢の参加者で、上野の森の一角の五條天神社は、大層な賑わいとなりました。

 

ところで、この射会では、射場に入る際に四十七士の名前の書かれた「襷」を掛けて入場します。この「襷」は自由に選べるのですが、やはり一番人気は「大石内蔵助」でありましょう。しかしながら実は吉良邸討入では弓を使用した義士が6名居ます

 

■早水藤左衛門満堯(みつたか)

→早水の弓の師匠である星野茂則は、三十三間堂の大矢数(通し矢)で6,666本を記録し、射法訓で名高い吉見経武(順正)の記録を破った人物で日置流尾州竹林派(星野系)。早水自身かなりの名手と言われています。享年40

■神崎与五郎則休(のりやす)

→俳人にして酒豪。辞世の句は「梓弓春近ければ小手の上の雪をも花のふぶきとや見ん」とされる。享年38

■間瀬久太夫正明

→享年63。おなじ四十七士の間瀬正辰は正明の嫡男。次男正岑(まさみね)は討入には参加しなかったものの、一族連座で大島に流され生涯を閉じたそうです。

■千馬三郎兵衛光忠

→享年51

■茅野和助常成

→享年37

■間新六光風

→おなじ四十七士の間喜兵衛光延は父、間十次郎光興は兄。享年24。墓所は四十七士のなかで唯ひとり築地本願寺にある。

 

こうして見ると、ひとりひとりの襷にも、それぞれの人生があったんだな…とあらためて実感します。

ということで、わが草加義士はこのうちの三士を選んで「討ち入り」に臨みました。(結果はナイショです…)

参加者に振る舞われるお蕎麦とお神酒、そして賞品の塩・砂糖・破魔矢等々、厳かで趣のある、楽しい射会でした。

来年の12月14日は水曜日ですが、また是非とも参加したいと思います!

(小谷)